あらたふと木の下闇も日の光
此真蹟大日堂の碑と異同ありてしかも意味深長なりよって今茲に彫付て諸君の高評をまつ  高野道文識
高野家は、旧家で、道文氏は11代目、明治2年死去。奥の細道で芭蕉が日光に来たときの句は、大日堂にある句碑の句だが、それと異なる句があるのに気付いた道文氏が不思議に思い、碑に刻んで残したものと思われる。 芭蕉は日光の句を何回も推敲しており、その一つを手に入れたものであろう。  日光文学碑散策路 昭和61年設定  日光市
旧本陣 高野家 日光