中田の松原 茶屋新田 中田
いま中田町となっている通りは、江戸時代は「中田の松原」と呼ばれたうちに入っていて、それは、これから北へ古河の原町入口までの約一里余の間の呼び名であった。(中略)巾5間(約9m)の道の両側は一段と高くされ、そこに松並木を植えたのは、寛永7年(1630)、古河城主永井尚政のときであったという。注意してみると、「左右に松並木が続き、道は広く、東海道にもこのように、まっすぐで、平らで、きれいなところはない」と、ある記録に記されているおもかげは、かって茶屋新田村の中心で、高札場もあったこのあたりに、今もわずかにしのぶことができる。 平成元年3月  古河市教育委員会