願慶寺 マキノ町海津 高島市 滋賀県

古紅梅
浄土真宗大谷派の末寺でもと天台宗であったが、本願寺第三世覚如上人の北陸巡礼の際に改宗した。 十六世紀の本願寺と織田信長の競い(石山合戦)に三浦衆(海津浦、今津浦、大浦の真宗門徒)を率いて参戦し、当時の住職慶乗に本願寺第十一世顕如よりその働きを褒める書状と後光厳院宸翰の「浄土法文」を下賜されている。本尊は阿弥陀如来で、本堂は貞享4年(1687)に、鐘楼や門は寛政12年(1800)に再建され、梵鐘はマキノ町では最古のもので寛永12年(1635)に造られた。  江戸時代以前には伊香郡、敦賀市、マキノ町に二十数ヶ寺の末寺を持ち、江戸時代には加賀・越前の諸侯が上洛の際の宿舎とした程の名刹であった。 また、境内には木曽義仲の側室であった山吹御前にゆかりのある一本の老紅梅がある。