近藤重蔵(名は守重、号は正斎)は、国後島択捉島をはじめ蝦夷地(北海道)の探検者として著名な人物である。とくに寛政10年(1798)から10年間に5度にもわたる探検で北方開拓に大きな足跡を残した。 択捉島で「大日本恵土呂府」の標柱を建てたり、漁場を開いて開発に努めたり、札幌を中核とする蝦夷地開拓を進言するなど多くの成果を挙げた。また文武両道に秀で、学識も・深く、千五百巻にも及ぶ著書を残している。 しかし晩年は不遇が続き、大溝藩で二年有余幽閉の生活をし病没した。文政12年(1829)享年59才。寺の境内には、重蔵遺作の詩碑が顕彰会によって建立された。
 近藤重蔵墓所(瑞雪禅院) 勝野 高島市 滋賀県