僅かに残る武家屋敷(笠井家)
 元和5年(1619)分部光信が伊勢から江州大溝(高島町)に入部し、この辺一帯は譜代家臣の集住する武家屋敷町となった。 明治維新後、家臣の多くが大溝を離れたため、今その遺構を見ることはむつかしいが、笠井家は現在残る数少ない一軒である。 通りに面して、両袖に部屋のある長屋門があったが、大正の初めに玄関脇に移築改造されて、今もその面影を残している。 また、解体した部分や増改築などで完全な状態とはいえないが、ほぽ藩政時代の代表的な家屋ということができる。当時の武家屋敷を想像させるものである。
 武家屋敷(笠井家) 勝野 高島市 滋賀県