志賀清林は奈良時代近江国木戸に出生、少年の頃すでに近江にきこえた強者で長じて最手役という今の横綱にあたる相撲技最強の人として活躍した。聖武帝の時志賀清林を召して御行事の行司に定めらると文献にあるが正式な行司の最初で清林は最手の官にxx相撲の司となったのである。清林は勅命によって相撲の儀式作法の準則をつくったほか相撲技48手をあみ出した。これによって生死をかけた原始的な相撲は大きく改革されるにいたった。清林が長く相撲道確立の祖と仰がれる所以である。
 志賀清林の墓 木戸 大津市