琵琶湖の最狭部に位置する堅田は、古来から湖上交通の拠点として栄えてきました。11世紀寛治4年(1090)に京都、下鴨神社の御厨が設置され、琵琶湖の水運と漁業の特権を得ると、益々発展するところとなりました。中でも堅田が最も栄えたのは権益を一手に掌握し、「諸浦の親郷」として琵琶湖に君臨した中世の時代です。堅田湖族と称された人々は結集し、政治を行い経済を発展させ文化を興し、やがて泉州堺と並び称される独自の自治を確立しました。この時代こそ堅田のまちが最も輝いた時代といえます。この像は中世の堅田湖族が築いたたくましい伝統と風土を伝え、その勇気に学び次代を創造しようとする私たちの気概を太湖の彼方に夢を馳せる青年の像に託し大津市ふるさと創生事業の一環として建立するものです。
 湖族の郷 堅田駅前 大津市