飛鳥山の歴史
 飛鳥山公園は明治6年に定められたわが国最初の公園の一つです。この公園のある台地は上野の山から日暮里 田端 上中里と続いている丘陵の一部です。このあたりは古くから人が住んでいたらしく先土器時代(日本で最も古い時代) 縄文時代 弥生時代の人々の生活の跡が発見されています。ここを飛鳥山と呼ぶようになったのは昔この丘の地主山(現在の展望台の所)に飛鳥明神の祠が祀られていたからと伝えられています。 江戸時代の中頃元文2年(1737)徳川八代将軍吉宗がこの地を王子権現に寄進し荒地をを整備してたくさんの桜や松 楓などを植えたので それからは桜の名所として有名になり附近に茶屋などもできました その説明は右手の大きな石碑に刻まれていますが この文章がとても難しくすでにその当時から読み難い石碑の代表になっていました。 飛鳥山のお花見は 向島とともに仮装が許されていたので まるで落語にでてくるような仇討ちの趣向や変装などのためにたいへんな賑わいでした また 東側の崖からは 
カワラケ投げも行われ土皿を風にのせて遠くまで飛ばす遊びも盛んでしたが明治の末になって危険防止のために禁止されました。 この山は東から西へのなだらかな斜面でしたが道路拡張のためにせばめられ さきに中央部につくられていた広場の跡地に噴水ができ夜は五色の光に輝いています。  昭和55年2月吉日   東京王子ロータリークラブ
飛鳥山公園 王子1 北区 東京都