龍興寺(下野薬師寺別院)略縁起(抜粋)
○天武天皇が皇后の病気平癒を願い、勅願により白鳳8年(680)祚蓮上人が建立した下野薬師寺の別院であり、直末37ケ寺の本寺である。
O日本三戒壇を開いた鑑真和尚(688〜763)は、天平宝字5年(761)唐の楊州龍興寺の舎那殿壇の法を当寺に移し、寺名を生雲山龍興寺と名づく。
○太政大臣弓削道鏡禅師(708〜772)は、宝亀元年(770)8月造下野薬師寺別当職として着任したが、宝亀3年(772)4月7日歿する。
○元亀元年(1570)北条氏政の兵火に遭い、龍興寺焼失。
○真言宗智山派総本山智積院第四世化主 元寿僧正(1578〜1648)は、龍興寺檀那田中の野口家から出家す。
○現本堂は、安政7年(1860)3月3日再建。

弓削道鏡について
  いまを去る千二百余年前、奈良時代の高僧・弓削道鏡の墓所が当所です。 道鏡は、若くして仏道に精進し、厳しい修行を積み重ね、高度な医学も身につけた立派な人です。 孝謙天皇に仕えて十年余り、天皇が崩御されますと、上層社会に権力を振う者たちの陰謀によって、ここ下野薬師寺別当職に移されました。 道鏡は、都を遠く離れたこの霊場において、天皇のご冥福と人々の幸わせを祈りながら、772年4月7日不遇の生涯を閉じました。 従来の正史は、その時々の権力者の都合で記されたもので、決してありのままでなかったことを遺憾に思います。 私たちは、歴史の真実性を尊重する立場に立って活躍された故・横嶋斜月先生や、故・古田清幹先生の遺志を受け継ぎ、道鏡禅師の更なる顕正をめざします。 1994年4月7日  道鏡を守る会
 龍興寺・道鏡塚 薬師寺 下野市 栃木県