宗英寺 関宿台町 野田市 千葉県
当山は、観照山花林院宗英寺と称し慶長元年(1596)創建の禅宗のお寺です。山門の柱の葉彫は貴重なもので、創建当時のままです。境内には、足利晴氏の墓・船橋随庵の墓・松平康元の墓や御位牌等も残されています。
足利晴氏(中世古河公方)
 永正5年(1508)宇都宮で生まれ、元服の時12代将軍の『晴』を賜り晴氏を名のります。 戦国時代末期の公方であったがために、家督争いや関東制覇をもくろむ北条氏との戦いに明け暮れる毎日でしたが、直接の家臣団を多く持っていないため、戦いに敗れることが多く、天文14年(1545)家督を子の義氏に譲りその後関宿に隠居し、永録3年(1560)5月27日享年52才で死去します。 
船橋随庵(関宿藩士・経済・土木学者)
 寛政7年(1795)関宿にて生まれる。本名は船橋殻信と称し、隠居後随庵と名のります。 壮年の頃より藩の用人となり、嘉永元年(1848)中老となります。同年今でも随庵堀などと呼ばれる堀(水路)の大治水工事(関宿〜野田間)を始め、数年の歳月をかけて完成させます。この治水工事により水害がほとんどなくなり、作物の収穫高も飛躍的に上がったそうです。明治5年4月15日享年78才で死去します。
松平康元(初代関宿藩主)
 天文21年(1552)尾張国で久松勝俊の長男として生まれる。康元の母はお大の方(伝通院)徳川家康の母でもあり、家康・康元は異父兄弟ということになります。 若い頃は兄家康とともに戦に明け暮れる毎日でしたが、天正18年(1590)徳川家の江戸入城の時2万石にて関宿城を賜り13年間城主を務め慶長8年(1603)年享年52才にて死去します。   野田市教育委員会