随庵堀・旧道跡 関宿江戸町・台町 野田市 千葉県
船橋随庵は、関宿城主久世広誉・広運・広周に仕え、関宿藩の農政に尽力した藩士です。藩の中老となった嘉永元年(1848)に、2年の歳月をかけて「関宿悪水落堀」とよばれる用排水路の治水工事を行いました。この水路は、関宿城内から筵内(野田市)に至リ、利根川につなげるという総延長20qに及ぶものです。現在も『随庵堀」の名で親しまれ、重要な用排水路として利用されています。 随庵はその後も、領内各所の新田開発を手がけ、整備された農地を農民に分配しようとするなど、偉大な人物として藩内の農民に慕われました。晩年には明治政府からも、治水の知識をかわれ、登用の誘いがあったようです。  千葉県立関宿城博物館