路分け六地蔵 東高野 野田市 千葉県
この六地蔵は享保2年2月(1717)につくられた後背型丸彫り六地蔵です。石碑に『二年丁酉二月」と彫られています。これは享保の時代を表しています。全体的に五十センチ程度と小さく、多少風化はしていますが、可愛らしく丹精につくられたものです。また、『村同行十八人、秋花・つ空・園心・雪□」と刻まれていますが、人の名前なのか不詳です。(中略) 六地蔵の側『天保八年九月吉日』(1837)と年号が刻まれている二十三夜塔かあります。路分地蔵といわれる由縁となった石仏です。側面に 『左・木間ヶ瀬・右・江戸道、ほうしぱな』とあります。また、六地蔵と並んで、即身成仏の伝説を持つ卵型(無縫等)のお坊さんのお墓もあります。 この小さな六地蔵に子供の幸せのすべてをかけてきた庶民の長い歴史が刻まれている様で味わい深いものがあり、地域の人たちに長い間愛されつづけてきた六地蔵です。そして長い間路分け地蔵として旅人や多くの人たちに役に立ってきました。今でもこの三叉路と路分け地蔵が立つ場所は、当時のままの姿で残っており、またこの付近の道筋も変わっていません。   野田市教育委員会