僕の家といふは、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云っている所。崖の上になってるので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一ゑんが見渡される。 秩父から足柄箱根の山々、富士の高峰も見える。 東京の上野の森だと云ふのもそれらしく見える。
 村はづれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。 ここから見おろすと少しの田圃がある。 色よく黄ばんだ晩稲に露をおんでシットリと打伏した光景は、気のせゐか殊に清々しく、胸のすくやうな眺めである。   伊藤左千夫著 野菊の墓より   昭和39年10月  門人  土屋文明識

野菊について
「野菊」という花は、山野に咲く数種の菊を総称したものであり、「野菊」という名の花はありません。関東近辺で一般に「野菊」と呼ばれる花は、カントウヨメナ、ノコンギク、ユウガギクなどがあり、いずれも白か淡青紫色で田のあぜや川べりに生える多年草です。
さて、小説『野菊の墓』には、正夫が「民子さんはどうみても野菊の風だ」民子が「正夫さんはりんどうのようだ」という記述がありますが、民子が好きだった「野菊」とはどのような花だったのでしょうか。  矢切地区風致保存会
野菊の墓文学碑 西蓮寺 下矢切 松戸市