温暖で平坦な下総原野が川と海に落ち込むこの矢切台地に人が住んだのは約5千年前朝に魚や貝を採り夕べに鳥や獣を追う平和な生活も下総の国の国府が国府台に置かれた1300年程前から武士達の政争の場となりなかでも北条氏里見氏の国府台合戦はこの矢切が主戦場となり戦死者は1万余りを数えました。 家は焼かれ田畑は荒らされ女子供年寄りは逃げまどい男どもは人足に狩り出され傷つき一家は離散 この塗炭の苦しみから弓矢を呪うあまり「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれ親から小、子から孫に言い伝えられ江戸時代中期に二度と戦乱のないようやすらぎと健康を願い庚申仏や地蔵尊に矢喰村と刻み朝夕お祈りをしてきました。 このたび先人達の苦難と生きる力強さを知り4百年前の遺蹟と心を次の世代に伝えるため平和としあわせを祈りこの塚をつくります。   昭和61年10月吉日   庚申塚保存会
矢喰村庚申塚 下矢切 松戸市 千葉