道標・巡拝塔 八千代市立郷土博物館
この道標は、大和田新田の成田街道(現在の国道296号)沿い、米本へ向かう道との分かれ道に建てられていました。ここを通る旅人が道を迷わずに、成田山へ向かうことが出来るよう建てられたものです。この場所に追分という地名が残されていて、別れ道のわかりにくい場所であったようです。正面に浮き彫りされた手が方向を示し、その下に「なりたミち」と深く彫られています。土台の石には「和国屋」の名前が大きく彫られ、店の宣伝も兼ねています。左側には「左米もとミち」と記され、ここを左に行くと城橋を抜けて米本に行く道であることがわかります。右側に「文政3年(1820)9月吉日」、今から184年前のことでした。和国屋は東海道の品川にあった旅籠屋です。この道標から、たくさんの人々が成田詣でに向かい、やがて「さくら道」が「なりたみち」と呼ばれるようになっていったことがわかります。この道標はバイパス工事のため、撤去され保管されていたものを一時教育委員会が代わって保管していたものです。今回、この企画展に合わせて博物館に移設しました。いずれ、道路が完成したときには、元の場所に戻す予定になっています。 この石塔は西国33箇札所、板東33札所、秩父34札所を合わせ、百観音巡礼を成し遂げた記念と無事に巡礼を終えた感謝の意味を込めて阿弥陀三尊をまつり、宝暦3年(1753)2月吉日、同行30人が建てたものです。(中略)また、この石塔は「右さくら道 左船橋道」と刻まれており、道標としての役割も兼ねています。