名勝・臼井八景 城嶺夕照 いく夕べ 入日を峯に送るらん むかしの遠くなれる古跡 永久2年(1114)に千葉常兼の三男常康が初めて臼井の地を治めて以来、16代臼井久胤までの約450年間、臼井氏は長くこの地の領主であった。その後臼井城は原氏や徳川家康の部将酒井家次の居城となったが、文禄3年(1593)の火事によって、この台地にあった城郭は焼失してしまった。 臼井八景はそれからおよそ100年後の元禄期に作られたものである。 臼井久胤の玄孫(やしゃご)にあたる「臼井八景」の作者は、夕映えの美しい城跡の嶺に立って、自分の祖先が臼井城の城主であった頃の遠い昔を偲びながら、感慨深く前掲の歌を作り上げたものである。 城跡の近くには、往時の土塁や空掘の一部が今でも昔のままに残っている。本丸跡の発掘調査により、15世紀の中国・明時代の陶磁器の破片や、城が火事になった時の焼け米などが発見されている。 北側の山裾には、第6代城主臼井興胤が1339年に創建した瑞湖山円応寺がある。また空堀の近くには、文明11年(1479)に臼井城を攻めて討死した太田道灌の弟・図書の墓がある。 題字 佐倉市長 |