正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍と太田乗明が館を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越となりました。彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴です。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並び立って一寺を構成していました。この両寺が合体して法華経寺を名乗るのは、戦国時代の天文14年(1545)以後のことです。(中略)寺内にはその他、重要文化財の法華堂・祖師堂をはじめとする堂舎、絵画や古記録などの数々の文化財があります。また周辺には日蓮が鎌倉に向けて船出したという二子浦(現船橋市二子周辺)の伝説など、日蓮にまつわる伝説も豊富に残されています。これらにより大本山としてはもちろん、さながら文化財の宝庫として、法華経寺の名は全国的に知られています。  平成10年12月   市川市教育委員会
祖師堂は宗祖日蓮聖人をお祀りするお堂で、最初は鎌倉時代の正中2年(1325)に上棟した小規模な五間堂でした。その後、焼失などのため数回の再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝6年(1678)に上棟されたものです。建物は大規模な七間堂で、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持つのが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造の屋根を持つのは全国でも岡山県にある吉備津神社本殿(国宝)だけです。(中略)昭和62年から始まった解体修理は10年の歳月を費やして平成9年に完了し、建立当初の姿に復元されました。  平成11年3月   市川市教育委員会
日蓮宗大本山 法華経寺 中山 市川