不知八幡森(八幡の藪知らず) 八幡2丁目 市川
(抜粋)
江戸時代に書かれた地誌や紀行文の多くが、八幡では「藪知らず」のことを載せています。・・・一様にこの藪知らずは入ってはならない所、一度入ったら出てこられない所、入れば必ず祟りがあると恐れられた所として記載され、「諸国に聞こえて名高き所なり」と言われて全国的に知られていました。入ってはいけない理由については・・・いろいろ言われてきました。・・・その理由のひとつとして、「藪知らず」が、「放生(ほうじょう)池」の跡地であったからではないかとも考えられます。古代から八幡宮の行事に「放生会」があり、放生会には生きた魚を放すため、池や森が必要で、その場所を放生池と呼びました。藪知らずの中央が凹んでいることからすると、これは放生池の跡であるという可能性が十分に考えられます。・・・「不知八幡森」の碑は安政4年(1857)春、江戸の伊勢屋宇兵衛が建てたものです。  平成16年3月  市川市教育委員会