下総国総鎮守葛飾八幡宮 八幡4丁目 市川
寛平年間(889〜898)宇多天皇の勅願によって勧請された社で、古来、武神として崇敬された。治承4年(1180)源頼朝は安房国から下総国府へ入ると、自ら参詣して源氏の武運を祈願し、建久年間(1190〜1199)には千葉常胤に命じて社殿を修復させたという。 また、文明11年(1479)大田道灌は臼井城の千葉考胤を攻めるため、国府台に築城のさい、関東の安泰を祈って参拝し、社殿の修理を行った。更に天正19年(1591)には、徳川家康が社領として朱印52石を供御して崇敬している。 (中略)山門の仁王像は(行徳の徳願寺に)移されて、その後に左右両大臣像が置かれ随神門とよばれるようになった。  以下略   昭和54年3月   市川市教育委員会
多数の樹幹が集まって、まるで根元から一本の大樹が伸びているように見えるところから、千本公孫樹の名で呼ばれてきました。古くから有名で、江戸名所図会には「神前右の脇に銀杏の大樹あり神木とす」とあり、さらに「此樹のうつろの中に小蛇すめり、毎年8月15日祭礼の時、音楽を奏す。其時数万の小蛇枝上に顕れ出づ。衆人見てこれを奇なりとす」とあります。樹高22m、根回り10.8mで、根回りより目通りの太くなっているのも特徴の一つです。