弘法(ぐほう)寺 祖師堂 真間 市川
天平の昔行基菩薩が来錫し、真間の地に語り伝わる手児奈の霊を供養して一宇を建て、「求法(ぐほう)寺」と称したが、その後、空海(弘法大師)によってこの山上に七堂伽藍が造営され、「真間山請弘法寺」と改められたのが、本寺の起こりと伝えている。(中略)江戸時代には紅葉の名所として知られ、文人墨客の来遊する者多く、その紀行文や詩歌・川柳・絵画をはじめ諸書に真間弘法寺の紅葉狩りのことが記されているが、明治21年(1888)火災のため諸堂が焼失し、数多くの楓も失われた。明治23年諸堂を完成し、昭和47年には本堂を鉄筋コンクリート造りに改築した。以下略   昭和54年3月  市川市教育委員会