ここは旧伊予田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡
しが定船場となり、御番所(関所)が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』
の伊予田村の項にも、関所は「新町内江戸川の傍にあり、ここを御番所とも云う」と書かれています。
 御番所町は、『徳川実紀』延宝2年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるものと考えられます。
現在も残る角屋旅館のほか、筑前屋、清水屋など、旅籠を兼ねた小料理屋をはじめ、井熊鮨、あめ屋、豆腐屋、ぬか屋、掛茶屋
などが並んでいたと伝えられます。東西道の江戸川に突きあたる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に大きな道標が望めました。道標は今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明(宝林寺内)や、関
所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、当時にゆかりのある旧跡がよく残っています。
御番所町跡 案内板 角屋旅館前
北小岩3丁目 江戸川区