この常灯明は、もと小岩市川渡の江戸川岸に建てられていたものである。元和2年(1616)に定船場として定められ番所が置かれたがのち慶安ごろから関所に昇格した。明六つから暮六つまで通行が許され「入鉄砲に出女」といって鉄砲の持ち込みと女子の往来は、きびしく取締られた。 江戸時代中ごろからは成田詣がさかんとなったが、この「渡し」は千住方面や両国方面からの旅人でにぎわった。 天保10年に千住総講中の手で献灯されたものである。 昭和9年江戸川改修工事のために、ここに移されたもので常灯明としては区内にのこる唯一のものである。 昭和48年3月 江戸川区教育委員会 |