この道は、江戸時代「佐倉街道」と呼ばれ、千住より小岩を経て千葉、佐倉に至る参勤交替の道筋として、江戸末期には成田詣りの道として利用されて来ました。 また、水路は明治に入り永年水不足に苦しんでいた農民の願いを、石井善兵衛氏が中心となって、江戸川の水を取り入れたものです。 その後農業用水路から排水路として利用され、下水道の整備によりその使命を終えました。 このように歴史的由緒ある水路は、魚の泳ぐせせらぎと桜並木の散策路として生まれかわりました。  平成元年4月
親水さくらかいどう 北小岩8丁目 江戸川区