竹内啓の墓 松戸 松戸市 千葉県
維新の志士 従五位 竹内啓先生の墓
竹内 啓 文政11年(1828)〜慶応3年(1867年)
本姓を小川といい、武蔵野国(埼玉県)入間郡竹内村の生まれで、生家は代々名主の家柄でした。若くして江戸に出て、国学、儒学、医学を広く学び、国元に帰ってからは、医者として働くかたわら、村の子供たちを教えたり、父親の死後、名主も勤めました。西暦1867年11月下野国(栃木県)出流山で、小川節斉と名乗り赤報隊の一派を率いて尊王討幕の兵を挙げました。 しかし、12月12日から13日にかけての戦いで、幕府方に敗れ、現在の茨城県古河市に逃れましたが、捕まってしまい、江戸へ護送されることになりました。 世の中は江戸幕府崩壊による混乱のさなかで何が起こるかわからない状態で、松戸の宿まで来たところで、いつ逃げ出されるかわからないという不安から、節斉は宿内をひきまわされたうえ、この地で処刑されました。享年40歳、慶応3年12月24日のことでした。なお、後年に従五位を追贈されました。 平成7年6月3日 松戸西ロータリークラブ