金窪神社 金久保 上里町 児玉郡 埼玉県
金久保神社は大永5年(1525)金窪城主斉藤盛光が鎌倉の鶴ケ岡八幡宮から城内に八幡宮を勧請したことに始まり、神流川合戦で金窪城の落城とともに焼失しました。その後、元和年間(1615〜24)に村民より中山道脇の現在の地に遷座したと伝えられています。 ここには、拝殿に狩野派の絵師、祥雲斎俊信によって描かれた天井絵があります。以下略 上里町教育委員会