岡部六弥太忠澄は、武蔵七党のひとつ猪俣党の出身で、猪俣野兵衛時範の孫、六太夫忠綱が榛沢郡岡部に居住し、岡部氏と称した。忠澄は忠綱の孫にあたる。源義朝の家人として、保元・平治の乱に活躍した。六弥太の武勇については、保元・平治物語、源平盛衰記に書かれており、特に待賢門の戦いでは、熊谷次郎直実、斎藤別当実盛、猪俣小平六等源氏十七騎の一人として勇名をはせた。(中略)一の谷の合戦では平氏の名将平忠度を討ち、一躍名を挙げた。恩賞として、荘園五ヵ所及び伊勢国の地頭職が与えられた。忠澄は武勇に優れているだけでなく、情深く、自分の領地のうち一番景色のよい清心寺(現深谷市萱場)に平忠度の墓を建てた。 以下略 平成3年3月 埼玉県 岡部町
岡部六弥太忠澄の墓 普済寺 深谷市 埼玉県