常盤地蔵 山中 関ケ原町 不破郡 岐阜県
平安末期、此処山中村で起きた常盤御前の不幸な出来事は、涙なしには語れない。常盤は、「義経がそのうちきっとこの道を通って都に上る筈、その折には是非道端から見守ってやりたい。」と、宿の主人に形見の品を手渡し息を引き取った。時に常盤43歳。主人は常盤の念願が叶うよう街道脇に塚を築き、手厚く葬ったのである。〔右手下約300m先にあり〕 其の後哀れに思った村人は、無念の悲しみを伝える常盤地蔵を塚近くのこの場所に安置し、末永く供養することを誓い合った。案の定寿永2年(1183)義経上洛のため2万余騎を率いて、当地若宮八幡神社に到着し、西海合戦勝利を祈願 合わせて母の塚及び地蔵前では、しばしひざまずき、草葉の陰から見守る常盤の冥福を祈ったという。 関ケ原町