江戸末期に、岩手の美濃獅子門化月坊が、中山道関ケ原山中の芭蕉ゆかりの地(常盤御前の墓所)に秋風庵を建てた。それを明治になって、一里塚の隣に移し、中山道を通る人々の休み場として、昭和の初めまで盛んに利用された。また、大垣新四国八十八ヶ所弘法の札所とし、句詠の場としても利用された貴重な建物である。  垂井町
日守の茶所 垂井町 不破郡 岐阜県