一里塚跡 柳瀬 神戸町 安八郡 岐阜県
美濃中山道と一里塚跡
中山道は江戸幕府成立以後、東海道、日光街道、奥州街道と並んで五街道の一つに数えられていました。日本の中央部を走るこの中山道は垂井から大垣、墨俣を経て名古屋ヘ向う美濃路、関ケ原から長浜に至る北国街道、関ケ原から牧田、多良、時を経て桑名へ出る伊勢街道など沢山の脇街道によって表日本と裏日本とを結んでおり、政治上、軍事上からも重要性ははかりしれないものがありました。又、茶壷道中日光例幣使の他、特に江戸幕府第十四代徳川家茂に降嫁した皇女和宮の下向の際、使用された道でもあります。一方、江戸日本橋を起点に36町(約4km)ごとに築かれたのが一里塚で柳瀬地内の一里塚は、現平野井川、柳瀬橋附近にあり旅ゆく人の里程標となっていました。