中山道河渡宿は、東に長良川、西南に糸貫川、北に根尾川があり土地も低く、白雨雪舞の折には泥沼となった。特に文化12年6月には、未曽有の洪水にみまわれ、このままでは宿も絶えるのではと時の代官松下内匠が、宿中を五尺あまり土盛をして、その上に家屋を改築し、文化15年に工事を完成させた。この功績に村人は、松下神社を建立し、碑を刻んで感謝した。碑は太平洋戦争の戦災で焼きこわれ、今は一部しか残っていない。  平成5年5月  中山道河渡宿文化保存会
松下神社・一里塚碑 河渡2丁目 岐阜市 岐阜県