千代田区町名由来板
この周辺は、かって神田旅籠町と呼ばれていました。昌平橋の北側にあたるこの地は、中山道の第一の宿場である板橋宿、日光御成街道の宿場町である川口宿への街道筋として、旅籠が数多く立ち並んでいたため「旅籠町」と呼ばれるようになったと伝えられています。(中略)天和2年(1682)に江戸で大火事が起こります。浄瑠璃や歌舞伎でも有名な「八百屋お七」の大火です。もともとあった旅籠町はこの火災で類焼し、北側の加賀金沢藩邸跡地に替地を与えられました。そして元禄7年(1694)には、浅草御門の普請のため、馬喰町・柳原周辺の町が代地を与えられ移転しています。これを機に旅籠町にも1丁目と2丁目ができました。さらに、明治2年(1869)には、昌平橋と筋違橋の北側にあった幕府講武所付町屋敷が神田旅籠町3丁目と改称されました。(後略)
神田旅籠町界隈(安政3年・1856)