中将姫 用田 藤沢市 神奈川県
中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、その美貌と秀でた才能から継母に嫉まれ、命を狙われ面で顔を隠す逃亡生活であった。その面は寿昌寺に預けられた後、用田の寒川神社へと納められたが盗難に遭い現存していない。その後、娘は父と再会し一度は都に戻りましたが願いにより当麻寺へ入り、十七歳で中将法如として仏門に入り称讃浄土経1千巻の写経を達成した後、阿弥陀如来と観世音菩薩のお力の元に、百駄の蓮の茎より一夜にして一丈五尺(約4m四方)もの蓮糸曼荼羅を織り上げになりました。その後29歳を迎えられた中将法如は、光仁天皇の宝亀6年(775)3月14日、諸仏の来迎を受けて、大往生を遂げられました。