赤羽接遇所は、安政6年(1859)に、これまで講武所付属調練所であった地に設けられた外国人のための宿舎兼応接所である。同年8月に作事奉行関出雲守行篤らによって建設された。黒の表門をもち、高い黒板塀で囲まれており、内部は間口10間、奥行き20間のものと、間口奥行各10間のものとの2棟の木造平屋家屋から成っていた。幕末にわが国を訪れたプロシャの使節オイレンブルグは、上陸後直ちにここを宿舎として日普修好通商条約を結び、またシーボルト父子やロシアの領事ゴシケビチなどもここに滞在し、幕末における外国人応接の舞台となった。 昭和48年3月 東京都港区教育委員会 |