所在他 港区虎ノ門1丁目2−7 建築年 昭和26年(1951)
 讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660}に三田の江戸藩邸に邸内杜として勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門に移る。
こんぴら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったといわれる。社殿は権現造りで、第二次大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家、伊藤忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。なお、弊殿の奥の本殿は、昭和58年(1983)に復興されたもので鉄筋コンクリート造、銅板葺きとなっている。 東京都生活文化局
金刀比羅宮 虎の門1丁目 港区 東京都