この辺りは、江戸時代、霞が関と呼ばれ、武家屋敷が建ち並んでいました。そして、その名は代々受け継がれ、現在では中央官庁の代名詞になっています。霞が関は、武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)の中にあったといわれていますが、正確な場所は分っていません。今のところ、霞が関のあったとされる場所として、千代田区・多摩市・狭山市が考えられています。千代田区に霞が関があったとの説は、『武磯野地名考』という史料の「上古ハ荏原郡に属す今ハ豊嶋郡にあり」という記述、『江戸名所図会』という史料の「桜田御門の南、黒田家と浅野家の間の坂をいふ。往古の奥州海道にして、関門のありし地なり。」という記述から導き出されています。また、名前の由来については、『武蔵野地名考』に「この場所から雲や霞の向こうに景色を眺めることかできるため」と記されています。 平成12年3月 千代田区教育委員会
霞が関跡 霞が関1丁目 千代田区 東京都