野瀬 相生市 兵庫県

伝説の里 野瀬
野瀬に残る平家の落人に関する系譜は 人皇第78代の頃とある。 この系譜により野瀬を平家の落人とするには多くの疑問が残る。 口碑に残るものとして野瀬の集落は「平家落人の里」とも伝えるが平家落人と成すよりは天慶4年(941)四国の伊予日振島で敗れた藤原純友の残徒三善文公が逃走中矢野岩窟山において殺害されたがその一部が住みついたとも考えられる。よって古代からの野瀬集落の歩みし方を村誌の一部としてここに書き留め畢。