藤代本陣跡 藤代
藤代本陣は、天正・文禄の頃(1573〜94)この地におかれ、名主であった飯田三左右衛門(横瀬主膳正繁の長男で、もとの名を刑部康氏という)の子孫が代々勤めた。本陣は、貞治2年(1363)足利義詮が京都にのぼるさい、宿舎に宿札をかかげて本陣と称したのが、その始まりといわれる。江戸時代には書く宿駅におかれ、参勤交代の大名・公卿・幕臣等が宿泊した。藤代本陣は、水戸街道(陸前浜街道)藤代宿の本陣である。建物は、昭和30年2月町村合併による庁舎建設のため取り壊された。当時、木造茅葺造りの質素なものであった、唐破風造りの玄関は本陣の威容をとどめていた。現在この百日紅と中央公民館脇の老松は、本陣玄関前にあったものである。  昭和61年8月    藤代町教育委員会