道標 清水 藤代町
この街道は、水戸街道ともよばれ、脇街道の中でも重要な街道であった。文政5年(1822)の記録によると、22藩の大名が参勤交代に用いており幕末期は、特にひんぱんを極めていた。江戸千住より始まるこの街道は、藤代宿が7番目の宿場町、本陣はすでになく今の中央公民館敷地に、百日紅の老樹がそのなごりをとどめている。昭和62年6月  藤代町教育委員会