初代神谷伝兵衛は、安政3年(1856)、三河国(現愛知県)に名主長男である神谷兵助の6男として生まれました。(幼名松太郎)幼少期に一家は貧困に陥り、松太郎は桶屋の見習い、雑貨商の手伝い、古物、米穀の行商などを経験したのち、縁あって明治6年(1873)17歳で横浜外国人居留地の「フレッレ商会」(フランス人の経営する酒類醸造場)に雇われ、そこで様々な洋酒製造法を修得しました。この時に、松太郎はやがて日本にも本格ワインが受け入れられる時代が来ることを予見したのです。19歳になると米穀商や酒商に勤めを変え、商売を学んで行きました。この頃のわが国は封建体制から近代国家に向かう劇的転換期でした。個人が自らの努力によって経済力や社会的なパワーをつかむことができる時代へと移り変わっていく過渡期でもありました。初代神谷伝兵衛も、そのような時代の到来にいち早く気づいたひとりでした。しかし苦難の生活の中で、事業資本を持たない若い人間にとってはその夢を実現するためには大変な努力が必要でした。若き伝兵衛がどのような夢を抱きどのようにして志を貫き通し、偉大な実業家として立志伝中の人となり得たかを歴史的にも貴重な様々な展示品によってご紹介いたします。強靭な精神力と誠実な人柄、それに加えて絶えず柔軟な発想と創造力を発揮した伝兵衛の足跡をしばしの間ご一緒にたどっていただき、その熱い志を感じ取っていただければ幸いです。   神谷伝兵衛記念館
神谷傳兵衛記念館(ワイン資料館) シャトーカミヤ 牛久