左:牛久藩陣屋跡 右:牛久城址   城中町 牛久
寛文9年(1619)牛久2代領主山口但馬守弘隆によって構築された。それ以後、山口氏は歴代牛久藩主1万石余を領し、廃藩置県までこの地を在所とした。初代領主山口重政は72歳で天寿を全うしたが、その後牛久藩が11代も栄え続く基礎を築いた。 牛久城は城主の岡見氏によて天文後半(1550年頃)に築造された。この城は、戦国期に築かれた東国の城の特徴を持ち、本丸がある城山には石垣や天守閣を持たない典型的な遺構を残している。ここは、小田原北条氏と佐竹氏との境目にあり、三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られた極めて頑強な城になっている。(中略)牛久城は天正18年(1590)に豊臣秀吉軍の東国攻めにより開城した。その後、秀吉は由良国繁を牛久城主としたが、関ヶ原合戦後の元和9年(1623)に牛久城は廃城になった。