画聖小川芋銭は、明治元年牛久藩邸(現・東京赤坂溜池)で生まれ、同4年この地に移住。少年期上京し、桜田小で勉学の後、彰技堂において画を学んだ。同26年帰農以後は、郷土の伝説に登場する「河童」をはじめ「水の精」や「山の精」など幻想的な世界を数多く描き、独自の画境を開いた。一方芋銭は画のほかに、書や俳句にも通じ、絵を描く芭蕉とも称されており、昭和13年71歳で他界するまで各地を訪れ、不朽の名作を残している。  (菩提寺得月院にねむる)この碑は、芋銭没後の昭和26年、小川家をはじめ、敬慕する人々によって建立されたもの。正面には、芋銭晩年の作である「河童図」と「誰識古人画龍心」の文字が刻まれている。   牛久市教育委員会・観光協会・茨城県
芋銭子河童碑 城中町 牛久