霞ヶ浦湖畔のこの地は かって旧海軍飛行予科練習生揺籃の地 土浦海軍航空隊の一隅であります。 往時 旧海軍は大艦巨砲主義が主流で航空機は補助的兵器に過ぎませんでしたが 山本元帥は霞ヶ浦海軍航空隊副長時代夙に兵器として高い評価を下しその搭乗員育成と航空機産業充実発展に多大の貢献を果たし海上戦闘の在り方を大きく転換させ自らの慧眼を立証したのです。 予科練は元帥を慈父と仰ぎつつその中心的戦力となって各地に転戦し元帥がニューギニアのブーゲンビル島南端ブイン上空で機上戦死された以後は その仇討ちとばかり一機一鑑の決死的死闘を展開しましたが 国力の決定的な差異は如何とも成し難く遂に衆寡敵せず降伏を余儀なくされました。 この度海原会は元帥のこの歴史的事実を象徴させ 偉業を後世に伝承の為に元帥像の復元を決議し 会員有志のご芳志により 再びこの地にその再建を果たした所以です。 平成16年2月吉日  財団法人 海原会
山本五十六元帥像 予科練記念館前 青宿 阿見町 稲敷郡