町屋観音堂 安八町西結 安八郡 岐阜県
この観音堂は、嘉応年間(1169年頃)創建の結神社と共に参道東側に建立されていましたが明治24年(1891)の濃尾地震で本堂が倒壊し、又揖斐川の改修(1904)にて其の地地は河川敷となり、その為約29年間民家に御本尊は預けられていましたが大正8年にこの地に本堂が再建されました。然し老朽化とこの度の歴史の道整備事業の関係で平成6年(1994)現在地に再建されました。
この十一面観世音は聖徳太子の頃の栴檀の木で彫刻された観世音で、頭上の一寸八分(約6cm) の黄金仏は照手姫の守本尊であります。郷土の文学者、岡田垣斎氏の古文書並びに古来よりの伝えによれば、その昔、応永30年(1424)頃、当地に霊告により、照手姫は小栗判官との再開を願望し結大明神へ七日間の祈願をした。明神が姫に告げられるのに、「願望叶えさすべし。然し、守本尊は我に有縁の尊像なれば当社に納めよ」といわれ、姫は願望成就することを喜び、名残惜しくも明神(結神社)に納められた。 その後明神は村民に「この尊像は当地に有縁の像なれば観音の頭上に載せ、諸人に拝ませよ」と告げられる。以後、守本尊は十一面観音の頭上に祭り結神社と共に縁結び、安産の神として村民等しく崇拝の的であります。 祭日 8月10日