墨俣城 墨俣町墨俣 大垣市 岐阜県
戦国の頃尾張の織田信長は美濃進出の足場とするため州俣に砦を築こうと企て佐久間信盛柴田勝家等に築城を命じたが相次ぎ失敗したので大いに怒った。時に木下藤吉郎秀吉進んでこれに当たる。永録9年9月蜂須賀小六等の野武士二三千人を率いて大小の長屋十棟櫓十棟塀二千間木柵五万本分人夫一千人を使い夜を日に次いで普請を急がせた。7日程にて大かた城もでき一夜の内に塀櫓を押し立て塗り立て完成したように見せかけたので攻撃中の井の口の斎藤竜興の城兵八千余騎は驚いて敗走した。信長はその功を賞し秀吉を城主とした俗に一夜城という。秀吉出世の由緒ある城である。