間の宿 足近町南宿 羽島市 岐阜県
美濃路の史跡
この地は元町と呼ぱれ、南宿の枝村(現・足近町南宿)で、美濃路の起宿と墨俣宿のほぼ中間地点にあったため、間の宿(あいだの宿の意味)と呼ばれる小休所が繁盛していた。 この東北にあった南宿村・北宿村には、かつて鎌倉街道の宿駅があったが、その南西に美濃路が開かれると、ここに間の宿が置かれた。間の宿で休息できたのは、大名・貴人・高僧などで、駕籠屋などが一息入れた立場(小休所)は、一里塚と間の宿の中間地点におかれた。 間の宿の休息所となっていた加藤家は、問口20間、奥行4間で、8畳の間が10間、6畳の間が3間、3畳の間が三間の構えで、今もここで休息した大名などの休息札が残されている。羽島市歴史・史跡検証委員会