起渡船場跡〜定渡船場跡 起堤町 一宮市 愛知県
美濃路の起渡船場には、上流から上・中・下の三ケ所の渡し場があり、定渡船場、宮河戸、船橋河戸と呼ばれていた。常時多くの人々に使用されていたのは定渡船場である。 江戸時代初期から、渡船場には定渡船二艘・置船一艘・御召渡船一艘の合計四艘が尾張藩御船手役所から預けられ、他に鵜飼船や馬船も置かれ、人々の往来を支えた。旅人だけでなく、西国の大名の参勤交交代や京都の公家の往来にも使用された。渡船場の実質的な管理は起宿の船庄屋が行い、船頭二十人がいた。昭和31年(1956)に現在の濃尾大橋が完成するまで、この渡船場は岐阜県と愛知県を結ぶ重要な交通手段であった。  一宮市教育委員会