起宿本陣及び問屋場跡 起下町 一宮市 愛知県
本陣とは大名、公家といった高貴な人々の休泊施設である。五街道やその付属街道の宿場に置かれ、美濃路の起宿には1軒置かれていた。起宿の本陣職は加藤家が代々「右衛門七(えもひち)を名乗り、幕末まで世襲した。天明5年(1785)の書上げによれば、「間口24間半・奥行54間・家造建坪206坪、外ニ高塀58間・門三箇所」とある。本陣は起宿の運営の中心機能としての役割を待っていた。  江戸時代を通じて、宿泊した藩としては紀州徳川家、広島藩浅野家、徳島藩蜂須賀家、熊本藩細川家といった大藩も多い。江戸時代中期からは朝鮮通信使の昼食の場ともなった。
 問屋場は人馬や荷物の継立てなどを行う場所で、これも加藤家が兼務していた。その後、永田家も問屋場として増設されている。 また、江戸時代中期の11代当主の加藤磯足は本陣職を務める傍らで、木曽川堤の自普請や村政にもカを尽くし、国学者本居宣長の高弟として学問にも熱心で、尾張を代表する文化人でもあった。  一宮市教育委員会