萩原宿問屋場跡 萩原上町 萩原町 一宮市 愛知県
美濃路は東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ幕府道中奉行支配化の近世道路交通史上重要な道路であった。萩原宿は名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣の七宿の真中に位置する。問屋は人馬の継ぎ立て一切を司る宿役人の長で、家の一部分を業務の扱い場(問屋場)とした。当宿場には、上とと下の2名の問屋が原則として交替でつとめた。ここは上の問屋場跡である。

上問屋は鵜飼家で、下問屋は木全家(現在の木全乳母車店)が勤めた。