十王堂 旧三国街道中島宿入口 中島 燕市 新潟県
中島の集落は江戸時代には三国街道の宿場として、又、冬期間は北国街道の継立地として栄えた。ために旅人の往来も繁く、風紀の乱れを防ぐ意味もあって建てられたともいわれる。 創建年代は不詳であるが、堂内の記録によれば、延宝年中(1673〜)修造、宝永3年(1706)催金を集めて京都にのぼり、諸仏を購入し翌年本堂に納めたという。 そのころは国上寺の客僧萬元上人が一時期中島に住したとも伝えられるところから同上人が再興に尽力したのかも知れない。 延宝年中の修造大工は矢作村の高島権助で、掲額者は中島村庄屋斎藤源右衛門である。 その後幾たびか修繕が加えられ、昭和29年(1954)には萱葺きから瓦葺きに変えられ(平成9年にも一部瓦政修)たが、本体の用材は最初の江戸時代建築当時のもので、素朴な原型を保っている。  分水町教育委員会