七夕句碑 地蔵堂本町1丁目 燕市 新潟県
ことし越後に漂白して星祭の比は新潟の人々に約しながら越後なるせばの渡りの朝あらし きのふも吹かけふも吹らし といへふる ことに心ゆるみて このわたりの七夕にあふ事にはなりぬ 夜やうれし星のわたりもとこそ こうり主 蘆元坊
解説:分水町大字地蔵堂の地は、往古(年号不詳)弥彦荘桜井郷
狭(せば)村という。文治2年(1187)の西行法師、東大寺再建勧進に下向の砌、鎌倉にて源頼公より与えられた源家の守護仏金躰「勝軍地蔵尊」を供養し奥州平泉の藤原氏から奉加を得ての帰路諸国行脚の途次、狭村に至る 法師無中に地蔵尊の示現を得て、狭川(西川)の辺に仮の草堂を造り、金像を安置して 「越後なるせばの渡りの朝あらしきのうも吹かけふも吹らし」の詠歌一首を残して文治4年此の地を去る。その後再三遷座あり、建保5年(1217)現在地に堂建立のち永徳3年(1383)市街をなし狭村を地蔵堂町と改称し地蔵堂願王閣の門前町として発展した。以下略